Psato’s diary

それでも生きていく

常にいる応援者 それは‥

毎日ブログ更新を目標にしたのにすでに3日坊主の私です。

 

気を取り直してまた3日、次の3日、と、続けて行きましょう。

それでいいと誰かが言ってました。そうすれば3日坊主じゃなくなると。一理あり(笑)

 

「人の出会いで人生は大きく変わる」と言いますが、私も、そうなのかなと感じています。

 

気付けばこれまで常に、ここのブログに書いている内容に近いような本音を打ち明けられる存在がいた。誰? 親?親友?彼氏?

 

いや、不思議だけど私の場合、ほんの少しの出会いしかなかった、その一時を過ごしたことのある、”おじさま”。おじさまという表現がよいのか、おじさん、年上の男性、人生の先輩・・いろいろだが。誤解のないよう、パパ活みたいなものではなく、指1本ふれたこともない、お互い全て知り合っているわけでもない、そんな仲。

 

知り合いのカメラマンの人の家に遊びに行った時、たまたま居合わせた、訪問してた会計士のK氏。カメラマンの知人に誘われて、「自作ムービー作らない?夜のシネマ会やってるのよ~。なんでもいいから、スマホで撮って。5分とかでいいのよ。あ、Kさんも一緒にやらない?」なんて誘われるがまま、ムービーつながりで少しずつお会いする機会が増える。

20代後半の頃。なぜかK氏にはだんだん、恋の相談をしたり、仕事の相談をしたりしていた。だいたいが私のお悩みの話。K氏はとにかく「理解」してくれたのだと思う。自分の言葉で置き換えて、無難な感想も加えてくれた。それはどれも肯定的なものだった。

私は中国に数年、仕事で住んだことがあるのだが、その時に書いていた中国日記ブログも、唯一K氏は読んでくれていて、毎回コメントもしてくれていた。何か心強い存在。

K氏とは今もFacebookなどでつながっており、誕生日にはおめでとうを言ったりしているが、会う機会はめっきりなくなった。何年だろうか、だいたい4・5年くらいやりとりはあった。

 

K氏のような存在の人は1人ではない。ライフステージによって現れては消えていく、でも、自分の人生にその人がいなかったら、今がない、と言う人もいる。

先ほど書いた、中国で仕事をするチャンスをくれたのも、次に現れた職場の同僚のおじさまだった。組織で影響力のある人のようで、また、人脈もあり、その人が紹介してくれた。その人とも今は疎遠である。連絡先は残っている。

 

今もまた、前の職場で本当に数日いや数時間顔を合わせた人で、今は70代くらいだろうか、故郷が近いという話で少し盛り上がり、おすすめのパンフレットを送るから、とか、故郷の情報をください、などという話から、仕事の相談や近況報告をしているうちに色々話せるようになった。私の波乱万丈な状況も興味を持って聞いてくれたり、70代とは思えない若さで、Youtubeで海外移住情報、温泉好きとのことで温泉ネタ、社会問題、故郷の話題などいろいろなトピックで送ってくれる。(メールも長文がすぐ返ってきたりしてすごい!)

 

それから・・ ときりがないのでこの辺にしておく。

 

親にも相談したことがないこと、それを赤の他人に吐き出してきた私。みなさんにはそんな経験があるだろうか。もしかしたら、末っ子で、年上の人と話すことの方が心地よくて、自然と自分も、何でも話せる年上の包容力ある人を求めていたのかもしれない。

 

大学からずっと1人暮らしだったし、父親とはそんなに話せるような仲ではなかったことから、代わりに話せる人を探していたのだろうか。もしかしたら父親ともこんな風に話せたら、もっと幸福感は高かったのかな?

 

ともかく、不思議だけど人生を前に進めるとき、私にとっておじさま達が支えとなって今がある。

 

またの名を「おじさんキラー」と呼んでいただこう。

 

お読みいただきありがとうございました。