Psato’s diary

それでも生きていく

職業観

あなたにはこれ!という、仕事に対する強みがあるだろうか。

 

私は一言でいうなら特にない。

 

私はずっと、何をしたいのか何になりたいのか分からなかった。

 

学校を卒業しても、それが見つかっていなかった。

 

でも、外の世界と繋がりたい、世界は広いんだから、日本だけじゃなく世界の国々と何かやりとりをするようなそんな仕事がしたいと思っていた。その中で自分が役に立てればいいなと。

 

全てを書くと読むのが大変なくらい膨大な量になるでそれぞれの仕事のことは書かないが、私はあらゆる職種をやってみたし、雇用形態もまた色々試した。強いて言うなら、この訳の分からないネガティブかポジティブか分からない私の一番費やしてきた分野は教員である。主に中学校。

 

これを聞いて、不詳な人物に少し信用が加わったのではないかと推測する。

 

そう、ステータスはその人を表す1つでもある。

 

ただ、私は自ら登り詰めて行きついたそのポジションを手放すことになる。

 

なぜか。

 

教員や教育の世界のことを話せばまた長くなるけれども、要は私にとっては、これがどれだけ生徒のためのものの教育なのかという疑問があり、はっきり言って卒業式とかで泣いてる先生みると、自己満足なんじゃないのと思った。それは私自身がそうだったから。生徒のこともちろん考えてないわけない。一生懸命やってきたつもりだ。でも、何のために一生懸命?一番は自分の生活守りたい。それ。2番に生徒のため。3番に教育に対する熱意。普通かもかもしれないけど、先生と呼ばれるステータスに甘んじていたり、公務員にしがみついてる気もした。ほんとは、なりたい自分の姿ではなかった。努力して積み上げてきたものが、もしかしたらある生徒にとっては悪かもしれないとさえ感じる怖さもあった。

 

話が戻るが、職業について考えると、私は、いろいろやってみても良いんではないのとは思う。一つのことを極めるもよし。いろんなポジションを体験しつづけるのもよし。変える場合は、目標のリミット作ってもいいともう。そうじゃなきゃ一生漂流してしまうから。何歳までは、全て経験!と渡り歩くのは悪くない。

 

私は一つのことだけできなかった。

仕事はあくまでも私自身の人生の時間。いかに楽しめるか、いかに充実して働けるか、またプライベートとのバランスが重要。その鎧を替えていくのは必然的なこと。私はそう思う。色々体験して、やっぱりこうなりたいな、これがいいな、大事なことは・・と自分の答えがみえてくる。

そしたら答えに合うものをみつけて、あるいは作って、行けばいいという話。そうしていくうちに自分にしかできない仕事もできて来るんじゃないのって。世間の作った枠組みの「職業名」をまとわなくても、自分で自分をデザインしていく。

 

人の目親の目は気にしない。何をいわれても働くのは自分。自分しかわらないこともある。幸せであることが大切。

 

あ、でも一文無しになったら、そりゃ道化師でも農民でも何でも文句言わず働くし、教員にだって喜んですぐ戻る。

 

そんなもんです。

 

さて、こんどは長く続けていきたいなーと思っています。